Parrot Diaries

君の言うことは正しいと思うよ

daily dizzy diary

お題「手帳」

 

 

手帳と日記帳って、どちらもdialyなんですね。

 

昨年の秋くらいから、手帳は使わずにGoogleカレンダーでスケジュールの管理をするようになりました。スマホタブレットとPCの同期とか使い心地がよいので、もしかしたらこれから環境が変わっても使い続ける、かもしれません。

手帳(スケジュール帳)に手書きで色分けして色々書くのも好きなんですけどね。悪筆だったり手帳が手元に無い状態でスケジュール確認が出来なかったりで、やっぱりそこはスマホに頼りがち。

 

 

 

日記帳。

実は、ちゃんとつけてた時期もあったりしたんです。

 

 

でも、書いてる内容にイマイチ興味を持つのが大変というか。ナマの自分をそのまま見せつけられてしまって、読むのが苦しくなっちゃったんです。それは結局のところ、自分自身の内面と向き合う自信がなかったのかもしれません。手書きの文字や、頭の中から湧いてきた文章や、そこから溢れ出す感情や、とにかくそれらを自分が生んだものとして認めたくなかったんだと思います。だって、汚いのはもう知ってるから。この文章だって書きながら校正はすれど後になってから読み返すことはしないと思うし、したくないんです。誰かに読まれることは有り難くもあり恥ずかしくもあるのですが、自分はもう自分を見たくなかったんです。

 

 

 

 

でも、最近になってそれじゃあ駄目なのかもしれないな、と思うようになってきました。このままじゃ自分と向き合わずに色々をそのままにして無視し続けることになるような気がして。

色々というのは、自分の欠点だったり、自分の抱える問題だったり、自分の殺したい記憶だったり。

 

ちょっぴり怖い書き方ですが、嫌なことが沢山あった時、切にそう思うから。

目を逸らしてもいいことだって沢山あるんだけど。

 

 

 

 

そんなこんなで、手書きの日記も書いてみたいなぁなんて、思っています。

 

暗い理由だけじゃなくて、単純にすごく素敵だなって思った人にお話を訊いたら、「書きたいと思ったときに、感情の赴くまま日記を書くんです。」と教えてくれたから。単なる憧れですね。

 

 

なんだか我ながら阿呆みたいな理由だけど、頑張ってやってみよう。まずは、かわいくていい感じの日記帳を探すところから。

 

 

 

 

 

 

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またしても。そしてこんなものを書いている。

 

人の縁というものは巡りめぐって回り回っていく、という何処かの誰かの言葉を鵜呑みにして、またあの時間が戻って来たらいいなぁ、と、阿呆なことを思う。思ってしまう。

そんなことはあるわけがないと、もう何度も思い知らされてる。

ぶち切るつもりで人の縁を引き寄せようとしてきたけれど、本当にぶった切っていたら世話ない。

 

 

 

いい機会だよ。と、こうなる度に、自分自身に言い聞かせてきた。

今回だってきっとそうなんだと思う。思うことにする。そうしないとやっていけない。本気で全部どうでもいいような気分になってしまう。

 

 

 

とりあえず、ジェスターという名前はもうやめにする。

また戻って来るかもしれないけれど、いまはそれを考えるべきではないと思うから、とりあえず一度終わってしまったほうがいいよねと、そう思います。

こうやって書いといて平然とした顔で数ヶ月くらいして戻ってきそうな性格をしているクソ野郎なんだけど、クソ野郎っていうのは皆もう知ってるから、どうせそんな甘えたことしてたら受け入れてもらえる筈もない。そもそも、もう二度と人の輪に受け入れてもらえる機会があるのかどうかすら怪しい。 

万が一自分でも認められるくらい人間が立派になったら戻ってくるかもしれないです。いまも小ぢんまりしたところで言葉の練習をしています。ここも小ぢんまりといえばそうだけど。立派になるその前に宝くじが高額当選してしまうんだろうな。

 

それ以前に、自分の心の置き場所がなくなってしまった、感覚がここ最近顕著だった。

 

ネット上で、周りに居てくれる人が少しずつ増えてくると同時に、どんどん自分の気持ちとは相反するような言葉を投げるようになってしまっていた。なんとか騙し騙し書くこともしてきたけれど、だんだんと自分自身の気持ちが何処にあるのかさっぱり見当もつかなくなっていた。嗚呼こんなことならせめて好きなものを好きなだけ好きだと書くくらいはしたいなぁと思ったけど、それももう遅かった。何が好きかも分からなくなっていたし、気づけば好きな筈のモノや人を何故か貶し貶めるような言葉を書いてしまうことすらあった。こうなってしまうと自分の心の置き場所なんて何処にも在るわけがなくて、結果として一番大切な筈のモノにも考え無しの阿呆のような言葉を浴びせかけていた。

 

 

 

 

そこに至るまでの過程を俯瞰してみれば此方に非は殆ど無いのかもしれない。けれど、言葉を間違えた時点で関係としては一度終わってしまったのだなぁと思い知らされた。一度終わったものが還ってきた試しは無い。

勿論、戻ってきてほしいといつだって願ってきたけど、そんな赦しを乞うたところでその資格だって持ち合わせていない。

もしかしたらいつか自分自身が成長すればその資格くらいは手に出来るのかもしれないけど、そんな想像している時点で。とにかく今は自分と向き合う時間しかない。永延に一人のままでいる画しか浮かばないけど、そうなんだったらもう充分だなぁとも思う。充分楽しかったです。

 

 

 

 

 

 

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

 

 

他人の意見なんて他人の意見でしかなくない?

はじめからそれ以上もそれ以下も期待してないのにそれすら返ってこないとか地獄かよ

 

 

という持論

 

 

他人の言葉に自分として返事が出来ないって。

人として死んでるとしか思えない。

そんなんだから人と向き合えないんじゃないかな。と思わざるを得なかったです。

偉そうなことを言えた立場ではないし、自戒でもある。

でもやっぱり逃げでしかないよ。

そりゃあ話しやすいよ。だって幽霊みたいなもんだし。

 

 

結局俺は現実でしか生きられない人間なんだ という風に思ってます。

 

でもね、夢みたいな夢を見られたって、全く嬉しくもないし幸せになれない。

 

クソみたいな現実に殺されそうになる方が幸せだ。絶対に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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これまであんまり開放型って使ってなかったんですけどね。

まぁ自室で使う分には音漏れとかそんなに心配しなくて大丈夫ですからね。

僕にはこのお値段のヘッドフォンで充分なのではないかと。 

これ以上高いと気軽に使えないですよね。。。

 

 

お題「愛用のイヤフォン・ヘッドフォン」

 

That's my drifting story.

 

このままじゃだめだと思って自分にプレッシャーをかけている。

 

自分の生活リズムを外から崩すのって本当にストレスになる。

 

 

ストレスはええものやね。

みんな心地いい居場所ばかり探している。自分の生きる場所を探している。

 

どこでも生きていいし、生きるのに誰の許可なんて要らない。

なんなら、自分の許可も要らないと思います。

自分が生きているのが許せなくたって、生きていていいんだと、俺は思います。

 

答えとか正解ばっかし探している人は、そうやって逃げてるだけだと思うんだ。

答えも正解も無い問題に答えや正解を出すには、自分の中ばっかし見ていちゃなんにも出来ないよ。

他人の中に自分をぶっ込むと、自分が死ぬと思いこんでる。

そんなに弱い自分なら。最初から探そうとしなくていいのに。

弱い自分を拾うことになんの意味なんてないのに。

 

 

 

Clammbon Re-雨

www.youtube.com

 

 

 

目をそらさずに ここにいよう

 

 忘れていた 雨の色も 見えてくるよ

 

 

 

   目をそらさずに ここにいよう

 

   ぼやっとしていた 視点が今 あってゆくよ

 

 

 

 

 

Writing anything for anyone does not necessarily lead to freedom of expression of yourself, but it should not be restricted.

 

いつでもどこでも誰に向けても、書きたいことを書くことが出来る。

それが自己の表現に直結するわけではないのに勘違いしてしまいそうになる。

表現といっても芸術的なアレコレとか大それたものじゃなくて、単純な自分の気持ちだとか考え方だとか、心で思っていること。相手に伝えるのは本当に難しいし、不可能なのかもしれない。

そうはいっても言いたいことや書きたいことはいつでも沢山あるわけでもなくて、それなのに何でも出来る場所にいると何か言わないと!みたいな焦りに繋がって、思ってもないような極論を言ったり書いたりしちゃう、人もいる。あんまりにも暴力的なエネルギーは別の場所で上手に昇華しないと、人としておかしなことになってしまう。その点ランニングは最高、風邪ひいてから行けてないけど。というか風邪ひいたのってもしかしなくても・・・・・・

 

与えられた自由が大きすぎると何にも出来なくなるな~と昔から考えるときにはエヴァの最終回のシンジ君がぷか~って浮くシーンが頭の中に浮かぶ。浮かびまくり。

 

地面という制約がないと歩けないでしょ!と自分にお説教している。

 

 

 

 

 

 

 

僕の言うことは正しくないと思うけど

 

こういう場所に心の置き場があっても、いいのかもなと思った。

 

意外と深夜に飲むコーヒーも悪くない、そんなことを思いながら書いてます。

 

やっぱりTwitterは飽和してるな、と自分には感じた。

代替品も出揃ってきて、次に取って替わるモノが出てこないかなと期待してる。

mixiが終わったみたいに。。笑

止めるつもりはまだそこまでないのだけれど、もう一度離れる必要があるなって。

本当に逢いたい人なら会いに行けばいいんだって割り切れるようになった。

割り切れて、いるのかどうかは、よくわからないけど。

 

 

メンヘラという言葉が広まって久しいけど、嫌な言葉ではないと思うよ

毛嫌いしたり、過剰に反応したり、そういうこと自体にむしろ嫌気がさす

 

こういう何気ない事、若いから考えてしまうような無計画な、暗いような話もつらつらと書く場所にしたい。定義づける必要もないけど。

みられても大丈夫なような場所に貼っておく(Instagramのbioとか?)ので読みたい人が読めばいいかなぁ。

 

こっち

theliverary.hatenablog.com

 

には音楽や趣味の話を書いてることだし